神奈川県立近代美術館についての見解
東京大学教授 鈴木 博之
神奈川県立近代美術館100年の会 運営委員
1. 近代建築としての価値
 神奈川県立近代美術館は、1951年11月、日本で最初の近代美術館として開館している。計画が進められたのは終戦直後の混乱の中だったが、知事内山岩太郎は、そうした厳しい時代だからこそ人々の心のよりどころとなる場所が必要だ、として高い見識から美術館建設を決意、1950年5月に建築家吉田五十八を審査委員長に起用して、山下寿郎、坂倉準三、谷口吉郎、前川國男、吉村順三の5人の建築家による指名コンペを実施する。設計者に選ばれたのは、戦前に20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエのアトリエに学び、1937年、パリ万国博日本館でグランプリを受賞して国際的デビューを果たした坂倉準三だった。 この建物は、そうした経歴をもつ坂倉の体得したであろう近代建築のエッセンスを随所にうかがうことができる貴重な遺産である。全体は中庭を囲むロの字型で、当時最先端の工業製品だった特注のアスベストボードとアルミ製留め金具で作られた白い直方体の2階展示室を、細い鉄骨と大谷石の壁で仕切られた1階部分が支える明快な構成になっている。このような幾何学的抽象形をモチーフとした建物は、緑豊かな鎌倉八幡宮の境内という特殊な環境の中にあって、それまでにはなかった独特な風景を形づくり、新しい調和を生み出してきた。そこには、工業化製品を用いた装飾のない建築によって、豊かな内外空間の形成を求めようとした近代建築が簡潔な形となって実現された姿を見ることができる。さらに、ここで坂倉は、桂離宮など日本の伝統的な空間からも学び、古くからある素材である大谷石を用いることによって、日本独自の近代建築のありようも試みている。こうして、時代の中における先進性にとどまらず、日本近代建築の歴史にとっても極めて重要な建物に位置付けることができる。

2. 文化史的な価値
 この美術館は、すでに半世紀以上もの間、近代美術館としての先駆的な活動を続けてきた歴史的な存在である。先行するニューヨーク近代美術館をひとつのモデルとして誕生し、近代日本美術の美術史的研究と外国美術展の紹介を軸に展開されてきた歴史は、それ自体がこの建物と一体化した独自の美術史的、文化史的価値を持ち始めている。また、1955年には、東京上野にある国立西洋美術館(1959年竣工)設計のための敷地視察を目的に来日したル・コルビュジエがこの建物を訪れ、自らの設計の参考にするなど、その影響もある広がりをもっている。さらに、文化財保護法や古都保存法など各種の法が整備される以前の占領下という特異な事情と、にもかかわらず先見の明をもった関係者の英断や協力があったからこそ実現できた、新しい建築と長い歴史をもつ古建築とが並存する風景そのものも、現在では古都鎌倉にとって貴重な遺産とみなすことができる。

以上のように、神奈川県立近代美術館は、日本の近代建築史を再考していく上で、また、戦後美術史や文化史を見直していく上で、さらには、歴史的景観と調和した建築のありかたを考えていく上で、極めて重要な建物であるといえる。